朱重八、東系紅巾軍へ入る
数年後の冬、灰色の雲が空を覆い、冷たい風が村々を抜ける。皇覚寺の境内には炎の残骸が黒く積もり、立ち上る煙が空気を重くしていた。元軍の焼き討ちにより、寺院は崩壊し、僧侶たちは散り散りとなった。
幼い李成桂と別れて以降、おとなしく僧として暮らしていた朱重八はその場に立ち尽くし、胸の奥から湧き上がる怒りと無力感に震えていた。
その時、灰の中から現れた一人の男。頭に冠を戴き、鋭い目が朱重八を捉える。その男の容姿と格好はまるで孔明が現世に蘇ったかのような風貌だった。
男は朱重八の手を取ると、その掌を凝視した。やがて低く呟いた。
「紅巾軍に加わるが吉。そこにあなたの未来がある。」
朱重八は言葉の意味を飲み込めなかったが、男の声には不思議な説得力があった。そして彼は決意した。自らの運命を切り開くため、新たな道を歩むと。
重八は東系紅巾軍の一派として濠州で挙兵していた郭子興の陣営に身を投じた。しかし、初めてその門を叩いたとき、彼を迎えたのは冷たい視線と剣先だった。
「胡散臭い坊主め、間諜だな!」
屈強な兵士が剣を振りかざす。朱重八は抵抗もできず、ただ目を閉じた。
だがその刹那、一人の女性が声を上げた。郭子興の養女であり、後に馬皇后となる馬氏だった。
「止せ!その者をよく見てごらんなさい。この面構え、嘘偽りを言う者の顔ではない。」
馬氏の言葉により命を救われた朱重八は、郭子興の幕下に加わることとなる。
ここで朱重八は迅速にその才覚を発揮した。貧しい僧侶出身ながらも、彼の持つ誠実さと果敢さは人々の心を掴んでいった。
郭子興の指揮下に入った重八は、初めての戦場で敵兵に囲まれた。荒々しい刃が迫る中、李成桂から教わった流れるような動きが、彼の体を自然と導いた。刀を振るう手に迷いはなく、敵の刃を受け流しながら反撃する。
鋭い一閃で相手を倒すと、重八は息を整えながら心の中で幼い師、李成桂の顔を思い浮かべた。
「桂、お前の教えがなければ、俺はここで終わっていたな。」
軍は朱重八の指揮のもと、小規模な戦いで幾度も勝利を重ねた。そして、彼は郭子興の信頼を得るだけでなく、その養女である馬氏を妻とすることになる。
馬氏は幼少期に両親を亡くし、その後、親交のあった郭子興に引き取られることとなった。郭子興は彼女を我が娘のように慈しみ、育て上げた。
彼女はその容姿から一目で目を引く存在だった。金髪碧眼の式目人らしい際立って美しい面立ちは、周囲の男性たちを無意識に虜にした。
しかし、それらの熱視線に馬氏は見て見ぬふりをし、内に秘めた知恵と慈悲で周囲と接していた。
馬氏は自分の容姿に絶大な自信を持っており、どんな男でも自分に魅了されるに違いないと考えていた。しかし、朱重八は彼女に気を取られることがなかったので、その態度に彼女は強い興味を持った。
彼女が観察を続ける中で、朱重八は元僧侶であったことから、禁欲的、かつ穏やかで徳の高い性格を持っていることに気づく。その謙虚さと温和さに、馬氏は次第に彼を魅力的に感じ始めた。
一方、朱重八はあまりにも鈍感であった。彼は最初からあのような美しい高嶺の花のような女性が自分に関心を持つはずがないと本気で考えていたため、彼女に対しては紳士的に振る舞うことしかできなかった。
馬氏と焼き餅
郭子興は重八に疑念を抱き、無実の罪で彼を投獄した。その間、食糧が不足していた状況で、馬氏は炊きたての餅を盗んでそれを袖に隠し、重八の元へと届けた。その餅はあまりにも熱く、馬氏は脇の下に火傷を負ってしまったが、それでも彼女は重八に自分の気持ちを伝えようとした。
重八は一瞬その意味がわからず、真顔で「これは何かの罰ゲームですか?この状況を隠れて見ている者はどこに?」と答えた。馬氏はその返事を面白く思い、彼女は「私は本気で言っている」と答えた。予想外の返答に朱元璋は顔を真っ赤にし、全く動けなくなってしまった。
その様子を見て、馬氏は満足げに微笑むと格子越しに彼の手、そして頬に触れ、何も言わずにそのまま退出した。
重八は彼女に心奪われ、胸の中で激しく高鳴る鼓動を感じ、完全にその心は乱れた。
朱重八から朱元璋へ
この頃の二人は相思相愛で人知れず、逢瀬を重ねていたが、見つかって以降は開き直り、馬氏が妊娠したこともありそのまま結婚することに決めた。郭子興も文句は言わないどころかこれを祝福した。
そして、朱重八は自らの名を「元璋」と改めた。「元を砕く者」という意味を込めたその名は、彼の決意を表していた。同時に、彼のもとには優れた人物たちが集まり始める。
剛勇の徐達、常遇春、そして知謀を誇る李善長。
彼らは朱元璋を中心に結束し、次第に勢力を拡大していった。
ある日、李善長は朱元璋に向かって言った。
「あなたは漢の高祖劉邦に似ています。度量広く、殺人を好まず。もしあなたがその道を手本とすれば、天下を統一する日も近いでしょう。」
その言葉は朱元璋にとって新たな指針となった。
馬氏はただの美しいだけの妻ではなかった。
彼女は非常に聡明で、書物や歴史に造詣が深く、朱元璋が戦略を練る際には、常にその助けを求められた。日々の戦いにおいて、馬氏は戦況を冷静に分析し、適切な助言を朱元璋に提供した。その賢さは、ただの妻としてではなく、まさに戦略家としても重宝されていた。
ある日、疑い深い郭子興が朱元璋に対して疑念を抱いたとき、馬氏はその間を取り持ち、郭子興と朱元璋の間に生じた不和を解消した。その姿勢は、ただの内助の功にとどまらず、実際に戦国の乱世を乗り越えるための大きな力となった。
戦乱が続く中、南京へと移り住んだ馬氏は、軍の妻たちを率いて渡江し、激しい戦争の合間に、戦士たちのために甲冑や衣類、靴を縫い続けた。彼女の手によって作られたものは、戦士たちを守り、士気を高めるための重要な支えとなった。そして、陳友諒が侵攻してきた際には、宮中の財宝を惜しみなく兵士たちに提供し、彼らを激励して戦意を高めた。その姿は、まるで戦場の真ん中で輝く灯火のようだった。
だが、彼女の最も深く、朱元璋の心に響いた助言は、ある時の一言だった。
「天下を定めるには、殺戮を避けるべきだ」と語ったその言葉は、朱元璋の心に深く刻まれ、彼の政策に大きな影響を与えることとなった。
馬氏の助言は、常に国家や人々の命を尊重し、民を慈しむものであり、彼女の言葉は乱世の中で平和の大切さを再認識させた。